特集2:異質コラボレーション -異次元の接触が生み出す新たな可能性-
これまでの特集を通して見えてきた「共創」というSOCIAL QUANTUMの特徴。今回の特集では、「共創」の中でも特に彼ら・彼女らだからこそ起こった、異質性の高いコラボレーションに着目し、その活動の意義、またコラボレーションによってどんな新しい社会的価値が生み出されているのかを探る。
岩手県盛岡市。
様々な偉人を輩出した地域として知られ、アイヌ語研究者の金田一京助や国際連盟事務次長の新渡戸稲造、そのほかにも米内光政や原敬といった総理大臣など多様な才能を育んだ土地だ。
北上川や雫石川など水資源に恵まれ、岩手山を遠方に眺める景観。春は盛岡城跡公園に人々が集まり桜を楽しみ、喫茶店をはじめとした個人店も多いことから地域の人々で日々賑わう声が聞こえてくる。
自然と文化の両面で豊かさを持つこの街は、ニューヨークタイムズ紙の「2023年に行くべき52カ所」に選出され、これまで東京などの大都市が選出される傾向の高かったことから、日本全国でニュースとして報じられたことも記憶に新しい。
しかし一方で、少子高齢化や市外・県外への人口流出、都市への人口一極集中という日本全国の地方エリアが抱える課題を盛岡市も同様に抱えている。
その課題に対して、クリエイティブの力を用いながら取り組むプロジェクトが存在する。SNSメディアを中心とした多様な取り組みを展開する「盛岡という星で」だ。
今回のインタビューでは、「盛岡という星で」の創設メンバーであり、盛岡という星でBASE STATIONというコミュニティスペースの運営協議会代表である清水真介氏、行政側の担当者として立ち上げを主導した佐藤俊治氏、現在行政担当者を務めている勝又洸樹氏に話を伺った。
前編では、「盛岡という星で」の概要、プロジェクト開始に至った背景やプロジェクトメイキングの手法について、創設メンバーである清水氏と佐藤氏の話を中心に紐解いていく。
PROFILE
清水 真介
合同会社ホームシックデザイン代表
プロデューサー・クリエイティブディレクター
1982年岩手県一関市生まれ。岩手大学教育学部芸術文化課程(視覚伝達デザイン研究室)を卒業後、同大学院に進学。大学院在籍中からhomesickdesignを屋号とし活動をはじめる。東北の作家に焦点を当てたシグアートギャラリーも運営。 盛岡情報ビジネス&デザイン専門学校の非常勤講師。日本グラフィックデザイン協会会員。岩手アートディレクターズクラブ会員。
佐藤 俊治
盛岡市
商工労働部経済企画課 副主幹兼商業振興係長
福島大学経済学部経営学科を卒業後、平成10年4月に盛岡市入庁。市民生活課、農業委員会事務局、企画調整課、地域福祉課、都市戦略室を経て、令和4年から現職。平成19年、在職時に修士号(学術)を取得。
勝又 洸樹
盛岡市
市長公室企画調整課都市戦略室 主任
東北学院大学法学部を卒業後、民間企業での就業を経て、平成30年4月に盛岡市役所入庁。産業振興課を経て、令和4年から現職。
「盛岡という星で」の始まりとは?
「盛岡という星で」は、盛岡市の事業として始まったプロジェクトだ。
SNSメディアの「盛岡という星で」を起点とした情報発信をはじめとして、盛岡の街歩きツアーやイベント、コミュニティスペースの運営、地域の学校・学生と連携した探究学習の実施など、多面的なプロジェクトで構成されている。
このように様々な取り組みを展開する「盛岡という星で」だが、その始まりは2018年まで遡る。それは当時、盛岡市役所の都市戦略室に所属していた佐藤氏が、盛岡市の人口流出の課題に対して新たな取り組みを仕掛けるミッションを持ったことがそのきっかけだったという。
ミッションを与えられ、具体的な企画検討を行うことになった佐藤氏だが、企画の軸となる思想は東日本大震災で感じた「人々の関係性の持続・発展」に関する問いから生まれたものだと言う。
「繋がり」というキーワードを起点に企画を進めていった佐藤氏は、全国の市区町村の中でも、20代の若者層における盛岡から東京への人口流出が非常に多いことに注目した。
これらの視点から、佐藤氏は移住・定住を促進するために、まずは「関係人口の創出・拡大」をプロジェクトの中心に据え、東京在住の盛岡出身者、とりわけ20代を中心とした若者層に向けた施策を行っていくことを考えた。
しかし、当初から現在のようなプロジェクトのあり方や展開を設計できていた訳ではないと佐藤氏は語る。
そこには、プロジェクトメイキングにおいて清水氏を中心とした様々な考えと手法が関わっているという。
違いを生む「熱量のレベルから考える」というプロジェクト設計
東京在住の盛岡出身若者層をメインターゲットとした関係人口創出・拡大を目的として据えることが決定した後、佐藤氏が取り組んだのは関係人口創出と関連がある複数テーマの事業に対する民間からのプロポーザル募集だった。
情報発信施策やパンフレット制作、イベント開催など7つの事業テーマが設定され、公募が行われたが、そこで佐藤氏が重視したのは「盛岡市内の事業者が、強みのある分野を生かしてエントリーできるように配慮する」という点だった。
このような考えのもと、市内の事業者がプロポーザルを行い、その中に合同会社homesickdesignとして清水氏も提案を実施した。
結果として、清水氏は7つのテーマの内3つのテーマで採択を受けることとなる。
全てのテーマで事業者の採択が完了した後、佐藤氏が行ったのは「各事業者間で共通認識を持つ」「統一されたブランド性のもと各事業者がアクションを行う」ということだったという。
白熱した議論が行われる中で、清水氏が主眼を置いたのは「受け取る人々の熱量のレベルと取り組みのマッチング」という考えだったという。
また、この「段階・ステップを設定してアウトプットを考える」という手法に関して、佐藤氏も行政側の視点から多くの気づきがあったと語る。
プロジェクトを立ち上げる際には、関わる人々の目的や想い、考えなければならない諸条件、メンバーのモチベーションやリソースの最適化など、膨大な情報量に向き合い、全てがゴールに向かって組み合わさるよう日々整理と選択に迫られる。
清水氏が主導した「ユーザーの熱量レベルに対するアクションの最適化」は、ユーザー視点でアクションを実施・管理することができるというメリットだけでなく、関係者それぞれに対して自身の取り組みのプロジェクトに対する貢献箇所を可視化できるというメリットもあるだろう。
それぞれがプロジェクト全体における自身の役割を認識できることで、そこに自信とエネルギーが生まれ、一体感と自走性を両立した動きに繋がる。
そうすることで、「盛岡という星で」は立ち上げの初期段階から、複数の事業者で構成されたプロジェクトながら、”AS ONE TEAM”の共通認識を作ることに成功したと言える。
後編では、熱量のレベルに合わせた様々な取り組みをマネジメントしながらも、全てに共通する「盛岡らしさ」という空気感のデザイン、コラボレーションからアクションを多産するための組織のあり方についてインタビューを実施した。
複数のステークホルダーが関係するプロジェクトは、初期段階のマネジメントを徹底することで共通の目標とそれぞれのシナジーを整理・設計することが肝となる。
しかし、多様な世代・専門領域のメンバーが集まった場合、それは多大な困難さを伴うものだ。
「盛岡という星で」では、行政側の深い洞察に伴った課題設定が前提となっていたこと、また各事業者が盛岡に馴染み深い存在だったことで「盛岡のためにより良い形を目指す」というある種の無私の思考を持っていたことを上手くマッチさせることができたという側面もあったのではないだろうか。
地方・地域プロジェクトという枠を外したとしても、それは多くのプロジェクトにとって学びの多い手法だろう。
清水:私たちの活動として、まずはSNSを用いた情報発信メディア「盛岡という星で」を運営しています。また、実際にツアーを組んで色々な場所を回ったり、お散歩のような感覚でちょとした交流を行うなど盛岡を実際に体験してもらえる街歩き企画を行っています。場所の情報・体験として、盛岡に来てもらうだけでなく、東京でイベントも実施しています。盛岡に関連する場所やお店、団体などをリサーチ・アーカイブして発信する「東京で見つけた盛岡のカケラ」という企画にも取り組んでいます。