特集1:「生活世界の見つけ方〜多様性の中の個性を再考する〜」
今回の特集では、多様性の実現が叫ばれる現代において、その多様性の根源である「個性」のあり方について掘り下げる。
ある特定の条件や評価基準の中だけで成り立つ個性ではなく、その人のあるがままの姿や自然な姿が個性として認められ、受け入れられるために、私たちは何を考え、どのように変化を生み出せば良いのだろうか。インタビューを通じて、多様性の中の個性のあり方を再考する。
「個性を活かす」という言葉が、日本だけではなくグローバル社会においても一つのスローガンのように扱われている昨今。
その対象は、教育の現場、とりわけ幼児・義務教育を受ける子どもたちに対するアプローチにも強く反映され始めている。
しかし、いまだに長年の慣習を守り続けることで、子どもの多様なあり方や特徴を受け入れられない側面が現行の教育システムの中に存在することも確かだ。
社会の一員として生きるとは、自分の個性を隠し、変化させ、一つの枠組みの中で適応することでしか達成できないのだろうか。
そのような問いをもとに、義務教育期間の子どもたちを中心に、オルタナティブな学びのプラットフォームづくりに取り組む人物がいる。
東京大学 先端科学技術センターでシニアリサーチフェローを務めながら、これまでの教育の常識にとらわれない自由な学びの場を提供するプロジェクト「LEARN」を展開する中邑賢龍氏だ。
インタビュー前編では、中邑氏が多様性に開かれた教育プロジェクトを始めるに至った背景や、多様性の中の「個性」に関する中邑氏の考えについて話を伺った。
PROFILE
中邑 賢龍
東京大学先端科学技術研究センター
シニアリサーチフェロー
1956年、山口県生まれ 既存の教育に馴染めない子どもの新しい学びの試みであるLEARNプログラムなど社会問題解決型実践研究を推進。著書に『バリアフリー・コンフリクト』(東京大学出版会)、『タブレットPC・スマホ時代の子どもの教育』(明治図書)、『育てにくい子は挑発して伸ばす』(文芸春秋)などがある。
テクノロジーは「人々の条件を揃える」ことができる?
中邑氏は、そのキャリアを心理学研究からスタートさせている。
研究を進める中で、40年以上前の時点から中邑氏が取り組んでいるのが「テクノロジーを用いた人々のエンパワーメント」だ。
技術を用いて、障がいを持つ方々が健常者と同様に楽しく豊かな生活ができたり、ハンディキャップを感じることなく社会で生きていくことができるための研究・実践に取り組んできた。
テクノロジーを活用するという視点は、若手研究者だった頃に師事していた教授からの言葉がきっかけだったと言う。
教授からの無茶振りに対して、中邑氏が考えたのは「話すためのツールの前にまずは楽しむためのツールとして野球ゲームを作ろう」というアイデアだった。
中邑氏は、生まれた時から人の条件が揃っているわけではないと続けた。
後編で触れるが、中邑氏の取り組んでいるLEARNのプロジェクトや新たな教育のあり方における考え方・アプローチに、この「人が持つ生まれついての差異」という思考の軸が大きな影響を与えていると言える。
障がい者支援で直面した「個性間の格差」とは
障がい者を対象とした研究と実践を進める中で、障がいを持つ人たちの中でも社会的なスタートラインが異なることに気づいたと中邑氏は語ってくれた。
中邑氏は、その気づきから「障がいの種類」やひいては「あらゆる人が持つ課題・環境」に関係なく、バリアフリーかつフェアに学ぶことができたり、働くことができる社会を作る必要があると考えるようになった。
異才発掘プロジェクトの光と影
個性間の格差にとらわれず、より柔軟で多様性のある教育の形を模索する中で、中邑氏は「異才発掘プロジェクトRocket」を開始することになる。
Rocketとは、東京大学発の教育プロジェクトであり、不登校など既存の教育システムにマッチしない子どもたちを対象として選出された子どもたちに様々な領域・多様な視点での学びの機会を提供するというものだ。
中邑氏は、このプロジェクトで人と違っているからと排除されていた子どもが自信を持って前に進めるようになった点は良かったが、このプロジェクトを通じて「目的の罠」に引っかかってしまったと話す。
個性とは誰しもが持つもの 必要なのは目的のない出会い
多様な特徴を持つ子どもたちを対象に、新たな学びの場を生み出そうとLEARNを展開する中邑氏だが、そもそも「個性」をどのようにとらえているのだろうか。
他人とは違う自分の特徴である個性に気づくには、様々な他者に出会うことしかないと中邑氏は続ける。
既存の教育システムとは異なる発想から、多様な考え方・存在に出会うことで、子どもたちのあるがままの個性の自覚を促すLEARNというプロジェクトはどのようなものなのか?
後編では、LEARNの実態とそこから描かれるこれからの教育のあり方・取り組みについて取り上げる。
社会に特定の評価軸があることは、それに適応できる人々にとっては幸福なことかもしれない。しかし、それは同時に、適応できない存在は「ダメだ・価値がない」という認識を生み出してしまうことにもつながる。
では、全ての人がその評価軸に入れるように教育をしていくことが解決策なのだろうか?
多様性とは、人々の差を無くし全てを同じような存在にしていくことではなく、それぞれの個性や特徴がそのままでも存在して良いという社会全体の肯定と受容のことを指している。
そのためには、他人と自分を知り、違いがあることを身をもって学び、だからこそ何ができるのかを考えたり、違いがあるままで幸せだと思える社会の形を模索することが重要だ。
中邑氏の思想と実践から、改めてそのようなことを考えさせられた。
中邑:40年ぐらい前、マイクロコンピュータというものが出始めた時期で、重い障がいを持つ方々のいる施設で寝たきりの人たちや思うように話すことができない人たちに対して、「この人たちの中には強いストレスからくる胃痛を持つ人がいる、彼ら話せるようになれば痛みが消えるのでは」と教授は考えていて、その方法をコンピュータを使ってなんとかしてくれという話をされました。
薬を飲ませても治らないから、メンタルの方面から何かできないかという考えがあったようなのですが、僕としてはかなり無茶振りなお願いをされたなぁという思いでした。