人々の健やかな暮らしを支えるメンタルヘルスケア~社会インフラ化への挑戦

南部 彩子

一橋大学社会学部卒、日本IBMからキャリアをスタートし、大企業での営業職、マーケコンサル、ベンチャーでの新規事業開発、NPOでのソーシャルイノベーション研究、福祉ベンチャーでの経営企画と、様々な業界と組織を経験。「誰もがその人らしさを発揮し、お互いの個性を祝福し合うダイバーシティ」がライフテーマ。2022年3月、スタイリングサービスのリワードローブ株式会社を友人と設立。占星術を使ったライフパーパスコーチングのコーチでもある。娘1人、子育てに奮闘するシングルマザー。


BUSINESS >

メンタルヘルスという言葉が広く社会に浸透した現代、人々の心の健康に対するアプローチは多岐にわたり、それを生業とする企業も増えている。日本における精神疾患を有する総患者数は614万人(2020年、出典:内閣府令和5年版障害者白書)、日本人20人に1人が何らかの精神疾患を有していることになる。この数字は2002年の223万人から2.75倍まで増加しており、ビジネスの観点で見ると市場規模は300億円以上との試算もある。
アプローチの充実や市場拡大によって、メンタルヘルスの課題解決は進んでいるのか。実際には今、どのようなメンタルヘルスケアが求められているのだろうか。

3年前に、東京都新宿区からメンタルヘルスケア事業をスタートした起業家の森本氏に話を聞いた。

PROFILE

森本 真輔 株式会社ソシエテ/精神科訪問看護「コモレビ」 代表

東京大学教養学部を卒業後、野村総合研究所、ローランド・ベルガーにて戦略コンサルタントとして勤務。2014年より医療・福祉領域における企業経営に関わるようになり、アフリカにおける医療・公衆衛生課題の解決に取り組むサラヤ・イースト・アフリカの現地代表や、国内の福祉系スタートアップの代表取締役共同社長として、社会的インパクトの創出に取り組む。2018年に株式会社ソシエテを創業、2021年よりメンタルヘルスケアサービス「コモレビ」をローンチし、日本のメンタルヘルス課題の解決に取り組んでいる。

早期介入による早期改善が重要

南部:事業内容を教えてください。

森本:株式会社ソシエテという会社を立ち上げ、2つのメンタルヘルスサービスを提供しています。一つはカウンセリングサービスで、対面とオンラインのセッションで提供しています。費用は自費負担です。もう一つがメイン事業の精神科訪問看護のサービスです。保険適用のもと、利用される方へ対話を中心としたメンタルヘルスケアを提供しています。精神科訪問看護は訪問型のサービスで、精神疾患を抱えていらっしゃる方を対象に、メンタルヘルスに関する知識のある看護師が自宅へ訪問してセッション/対話を行います。「精神科」「精神疾患」という言葉の印象でかなり症状の重い方をイメージされるかもしれませんが、サービスの対象となる方はそうとは限りません。利用される本人のありたい姿を大切にし、セルフケアのサポートや内服薬服用の支援など、生活を整えるための支援から、心理・精神的な不安や疾患からあらわれる困りごと・症状への対処まで、さまざまな相談をできることが特徴です。自費のカウンセリングを希望していた方が、面談の結果、精神科訪問看護を利用されることもあります。
精神科訪問看護は長年、精神科病院の入院患者が退院して地域に戻る際に活用することが一般的なサービスでした。病院に代わり地域の看護師が生活の支援と見守りをおこなうのですが、本来は、退院時サポートのみならず、精神科の治療を受けている人だったら誰でも使えるサービスなんです。
なぜ退院時に利用が限定されてきたかというと、事業者が長期で利用する方と契約することを優先して、営業先として有床病院を中心にアプローチしてきたことが背景にあります。その方が長期で利用される方が増えるので収益面でメリットがあるんです。もちろん、入退院を繰り返してしまう方が自宅での生活を安定させることは大事なことですが、精神科訪問看護という仕組みをもっと予防的に、重症化する前から利用していただくことも重要だと考えました。

森本:メンタルヘルスの予防は、発生を予防する一次予防、ハイリスク群を対象として深刻化を予防する二次予防、重症化と再発を予防する三次予防に分かれていて、本人のクオリティオブライフの面はもちろん、医療経済学的な観点に基づくコストの面でも、一次予防、二次予防のタイミングで食い止めた方が絶対にいいんです。


私たちのサービスの利用者は幅広く、入退院を繰り返している方もいらっしゃれば、休職に入ろうか悩んでいるタイミングの方や、週5日フルタイムで働きながら週末に調子を整えるために利用されている方もいらっしゃいます。つまり、これまで三次予防のサービスと考えられていた精神科訪問看護を、二次予防的に利用いただいているのが、コモレビの特徴です。
精神科訪問看護を利用されて、途中からカウンセリングに切り替えるケースもあります。状況に合わせてサービスを提供する中で、重症化する前段階に広いニーズがあることを感じています。

なんのためにメンタルヘルスを整えるのか

森本氏が展開する「コモレビ」が拠点を増やし拡大しているように、メンタルケアのサービスは増えている。メンタルヘルステック、ウェルビーイングテックが急増し、セルフケアやアセスメントのための製品・サービスが生まれ、一次予防・二次予防のケアインフラが多面的に広がっているように見える。このニーズの高まりは、現代社会において人々が心を病みやすくなっていることに起因するのだろうか。森本氏は、現在多くのメンタルケアが「資本主義におけるビジネスの1つ」として提供されていると指摘する。

南部:重症化には至っていない、予防の対象者が増えているのは、絶対数が増えているのか、もともとその状態の人は存在していてサービスの利用が増えたのか、どちらでしょうか。

森本:両方だと思います。入退院を繰り返すような重度の方は50万人ほどと言われているのに対し、精神科でなんらかの診断を受けたり、症状を持っていたりする方は600万人以上で、どちらも増加傾向にあります。

特に重症でない方の数が増えている理由の一つは、精神科受診のハードルが下がり、早期の受診が増えたことです。昔は精神疾患への偏見が激しく、なにかあったら病院で身体拘束されてしまうのではというような心配があったり、精神科はもっと症状の重い人が行く場所だという思い込みがあったりしたので、苦しんでいるのに受診に繋がらないことが今よりもずっと多かったんです。
二つ目の理由として、生きづらさが増して患者の絶対数が増えたということが考えられますが、実際に生きづらさがどのように変化しているかを昔と比べて測ることは難しいです。そこで他国に目を向けると、この社会課題は日本に限られたものではなく、どこの先進国も似たような状況にあることが分かります。メンタルヘルスに関する課題は、世界中で解決していないと言えます。途上国にもメンタルヘルスの課題はあって、アルコール依存症や、紛争後のPTSD、トラウマ、いろいろな形で存在しています。一方、いわゆるうつ病、気分障害となると先進国の方が圧倒的に多く、ヨーロッパも、アメリカも、どこも解決できていません。精神疾患が発症しにくい、または早期に改善できる環境が整っている国はどこにもないように思っています。


個人的には、資本主義経済とメンタルヘルスの問題は、深く繋がっていると考えています。
特に今の日本では、全体の経済的パイが増えておらず、これまで以上に大変なパイの奪い合いになっています。国による再配分が十分に機能しなくなる可能性もあり、財政的な余裕が無くなっていく中でより格差が広がっていると考えています。お金や生活に余裕がない状態では、相対的に心が荒みやすくなります。お金とメンタルヘルス課題は密接に結びついており、格差が広がるほどメンタルヘルスの課題も増えていくのではと懸念しています。

南部:格差が広がり、社会的に弱い立場にある人が増えたので、メンタルケアのニーズが高まり、事業者もサービスも増えているということでしょうか。

森本:たしかにサービスは増えてきていると思いますが、「弱い立場の方へに向けたサービス」が充実してきたかというと、必ずしもそうではありません。私としてはメンタルヘルスケアについては、「必要とするすべての人に届けられるサービス」とすることが大切だと考えています。しかし、当然ですがメンタルヘルスケアのサービスも資本主義社会の中で提供されているサービスの一つです。なので、、お金を払ってくださる方を対象としたサービスが多いのが現実です。「弱い立場の方へ向けたサービス」を意識的にしっかりと充実させていかないと、豊かな人だけがメンタルヘルスケアサービスにアクセスできるという状況が生まれてしまいます。これを「ウェルビーイングの格差」 と呼んでも良いかもしれません。豊かな人だけが豊富なサービスを享受できるようでは、この格差の再生産に繋がってしまいます。わたし自身は「弱い立場の方でも利用できるサービスを創ること」が、とても大切だと考えています。


メンタルヘルスケアへのニーズは、「個人」に端を発したものに限りません。「労働者のメンタルヘルス」への注目は、企業・株主側の都合(もっと言えば国側の都合)から生じているという側面もあります。近年、主に大企業において、従業員向けのメンタルヘルスケアのプログラムが福利厚生の一貫として提供されることが増えてきました。この変化は一見すると良い変化のようにも思います。ただその背景に目を向けると、「企業が持続的に成長し、株主が望む水準のリターンを産み続けるためには、従業員の身体だけでなく心についても、その状態も整え、強化し、動員することが求められるようになっている」という雇う側の論理が見えてきます。この論理が広がりつつある中で、新たに生まれているのが今のメンタルヘルスケアサービスと考えることもできます。実際に、日本では近年ローンチしたメンタルヘルスケアサービスの多くが、B2Bを中心にシフトしている印象があります。

南部:メンタルヘルスケアの充実は、働く人にとってセーフティーネットではないのでしょうか。働く人にとってのメンタルヘルスと、企業にとってのメンタルヘルスは違うのでしょうか

森本:もちろん、企業にとってのメンタルヘルスだからといって、働いている人のためにならないかというと、そんなことはありません。企業側がコストを負担するサービスであっても、働き手のQOL(クオリティオブライフ)向上の実現に繋がることは当然あります。
ただし、もう少し視点を広げて社会全体の課題としてメンタルヘルスを捉え、そもそもなぜ人々のメンタルヘルスに企業が介入しなければいけない状況が生まれているのか、という点を考える必要があると私は思っています。


企業が中心となるメンタルヘルスケアでは、「資本主義経済の中で、価値を生むためのこころのケア」というように、価値を生むことがこころをケアすることの目的として位置付けられてしまいます。もちろん社会的・経済的に機能することは大切なことですが、本当に大切にしたいのは、一人ひとりの良いこころの状態それ自体です。働いていようがいまいが、もしくは、会社にとって価値の高い人間だろうがそうでなかろうが、一人ひとりがウェルビーイングな状態をめざす権利を有していますし、めざせる社会であって欲しいと考えています。

健やかに生きるためのメンタルヘルスを実現する

「メンタルヘルス=こころの健康」を整える目的を考えると、いま多くのサービスが目的としている社会で生産的な活動するためのメンタルヘルスと、より本質的な人々が健やかな人間であるためのメンタルヘルスには確かに違いがあるだろう。人は常に多面的で、働く者としての自分や、家族・親族の中の自分、地域社会の中の自分といった肩書を乗せた自分と、“何者でもない”人間としての自分など、様々な側面を持っている。メンタルケアが肩書を乗せた個人の文脈に寄りすぎてしまうと、更なる歪みを生むことになってしまうのではないだろうか。本質的な課題解決のキーワードとして森本氏が挙げるのは、「格差の是正」と「繋がり」だ。

南部:人々の健やかさのためのメンタルヘルスに、今もっとも重要なことはなんでしょうか。

森本:ここまでお伝えしてきた通り、いま、そしてこれからのメンタルヘルスケアが、生産的な社会人であり続けるためのメンテナンスの側面をより強めていってしまわないか、大企業であればあるほどメンタルヘルスのケアが充実していくというような「ウェルビーイング格差」が広がらないかが重要だと思っています。大企業で働く人は日本全体の30%程度ですが、中小企業は大企業のように従業員のメンタルケアを充実させる余力がありませんし、そもそも企業に属していない自営業の方々も多く存在します。私たちのサービスの利用者の中には、現在は働くことができていないという方もたくさんいます。メンタルケアへのアクセス段階で大きな格差があるように思っています。


メンタルケアへのアクセスが十分でないまま、自分でメンタルを整えられることを社会から過度に求められてしまっては、自己責任の負担が重くなりすぎてしまいます。しかも賃金の格差も存在しているので、多くのひとにとってメンタルケアサービスへの継続的なアクセスやサポートを得ることが難しい。だから医療保険が適用される精神科訪問看護という制度のもと、より多くの方がアクセスできるサービスにしていきたいと考えています。

南部:個人向けのサービス、特に「格差」に拘るのはなぜですか。

森本:もともと格差の是正にずっと関心がありました。格差の中でも、経済的な格差に留まらず、尊厳や幸福感の格差こそ是正すべきだと思っています。尊厳が守られて、幸福感が感じられるように、メンタルケアのインフラを整えたいのです。アフリカで働いていたときも、貧しい方向けの公立病院の環境を整えるなど、人々が公衆衛生にアクセスできるインフラを作っていました。国内ではどこに尊厳と幸福感の格差があるのだろうと思ったときに、メンタルヘルスの課題に行き着きました。

ひとが尊厳が守られていると感じられるためには、自分のあり方を良いと思えて、自分の価値を認められる、そして周りからも価値のある人間として扱われていると感じられることが大切だと考えています。

森本 真輔

森本:元気に働いていた人がメンタルの不調をきたすと、仕事を休んだり、場合によっては辞めて復帰できなかったり、生活の中で「仕事」がなくなります。金銭面のインパクトも大きいですが、同じくらい大きいのが、人との繋がりが絶えてしまうことです。繋がりがないと、尊厳や幸福感を得にくくなってしまいます。
精神科訪問看護は、メンタルヘルスケアのサービスではありますが、一人の人間が、週に一回など決められたペースで自宅に伺って話を聞くんですよね。「最近そんな変化があったんですね」「そういうことを楽しいと感じるんですね、つらいと感じるんですね」と、その人の状態や言葉を受け取って返していくわけです。サービスを提供するひとりひとりがしっかりと利用される方に寄り添う。ご本人の目標や意思を伺い、それを大切にしながら出来ることを一緒に考えていく。
そこに他者との血の通った繋がりが生まれます。
対話をして自分の考えや感情を共有することで、相手を一種の鏡としながら自分という存在を認め、尊厳を感じることにつながっていきます。


メンタルに不調をきたした方の多くは、人との繋がりがすでに絶たれてたり、今ある人間関係がご本人にとってはマイナスで辛いものになっていたりします。サービスを利用する中で、「たまに話すと安心するな、プラスになるな」と思ってもらうところがスタートで、こうした感覚が生まれれば、他者との繋がりを一つ回復することができたと言えます。それが、同じような繋がりをまた他の人とも作っていけるかもしれない、プラスの繋がりをまた得られるかもしれない、という希望になります。こうしたひとつひとつのステップ、プロセスを経て、他者や社会とのつながりを回復していくことをお手伝いしています。

南部:「精神科訪問看護でメンタルヘルスケアにおける格差の是正と繋がりを作る」という考えで起業されたのですか。

森本:2018年7月に会社を作ったときには、メンタルヘルスに関することを絶対やりたいと思っていましたが、精神科訪問看護をやろうと思っていたわけではなかったんです。もともと学生時代に学んでいたのは政治哲学で、どういう社会がいい社会と定義され得るかを考える学問なんですよね。その中で関心を持ったのが格差の問題へのアプローチです。特に尊厳の不平等をなくしたいと思っていました。そのコンセプトが実現できて、経済性が成り立つビジネスモデルを探すのに1年半、準備に1年半かかり、サービスを実際に始めて3年が経ち、今に至ります。「どのような境遇の人も尊厳を持って生きられる世界」というのをビジョンに掲げていているのですが、今は東京のごく一部の地域でしかサービスを提供できていません。また、カウンセリングのキャパも十分ではないので、住む場所や環境によらず使っていただけるサービスを作りたいです。サービスを提供する地域についてですが、途上国には戦争後のPTSDの問題など、これまで後回しにされてきたメンタルヘルスの課題があるので、海外も視野に入れていきたいという想いもあります。


日本でも世界でも、格差は拡大しているので、もう少し一人ひとりが生まれた場所や経済的環境に左右されず、多少の失敗があってもやり直しがきくような社会になっていくといいなと思います。メンタルヘルスの領域からそれを実現していきたいですね。

「なんのためにメンタルヘルスを整えるのか」


anowにおいて様々な角度での考察が進む自律分散型社会。個や個の集団であるグループが自律している(自律可能な)こと、そして彼らがオープンなネットワークを介してつながることを前提条件としている。
森本氏の言葉を借りると、自律とは「自分のあり方を良いと思えて、自分の価値を自身で認められる」と言えるのではないだろうか。人が自律している状態は、森本氏の指摘の通り、資本主義社会で価値を創出しているかに左右されることなく、どんな人であっても得られるものでなければならないはずだ。
コミュニケーション能力、レジリエンス、ネガティブケイパビリティなど、現代社会を生き抜くために人が備えるべき能力は時代と共に増え続け、自己の心身をメンテナンスできることさえも求められるように能力の一つとなった。
「資本主義社会で機能するためのメンタルヘルス」が重視されすぎてしまったら、本来は人の生命を守るためのメンタルケアが更なる格差を拡大し、更に心の闇を色濃くしてしまう。この矛盾を解消し、本質的な解決に導くのが「繋がり」だということに、筆者は救われる思いがした。
自律した個人からなる社会では、組織との繋がりも、地域との繋がりも自然と得られるものではなく、自分で獲得していかなければならない。そんな中、心の不調をきたしてしまったときに、メンタルケアサービスを通して繋がりを得て、その次の新しい繋がりへの意欲が生まれることは、個人のしなやかな強さの源となるのだろう。尊厳と健やかさを守る精神科訪問看護サービスの広がりに期待したい。

南部 彩子

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